ひぐらしのなく頃に業~解~卒の真実
「ひぐらしのなく頃にシリーズ」の真実の話。
「結局ひぐらしって何の話?」「結末はどうなるの?」の答えにあたる。
考察というより解説記事、解釈記事になるのかな。
記事の中で断定的な書き方をしている内容も、あくまで個人の解釈なので間違っていても悪しからず。
読んでみて納得のいった部分を貴方の考えの"足し"にしてもらえれば。
うみねこ本編の登場人物やストーリーの知識は不要で、「この方向性で考えることで、ひぐらしの事件も話の展開も上手に説明できますよ」という連想ゲームのようなものなので、臆せずに頭を使って読み進めてもらいたい。
記事を読んだ貴方が”裏ワザ”だけでもお持ち帰りして、卒の視聴時に役立ててもらえれば幸いである。
当たり前の話をしよう。
人間は社会生活を送る中で、心豊かに生きるために「良心の拠り所」を作る工夫をしばしば行う。
集団の例:「キリスト教」を信仰して習慣的に祈りを捧げる時間を設ける。
人類の例:「科学」という知識体系によってこの世に流れる法則を解明しようとする。
集団単位の拠り所、宗教や科学といった規模の大きな黄金の真実は、その集団を末永く繁栄させたり、争いごとを起きにくくする効果があると言えそうだ。
上の解釈がデタラメだ、不十分だと言ううみねこの理解者がいれば指摘してほしい。
うみねこ作中では黄金の真実は人の右手で築き上げるもの、右手=黄金の真実の象徴として描かれていた。
で、これをひぐらしでも当てはめられないかなって話。
神社の像なんてのはまさに集団単位の拠り所なわけで、「だから村の人たちが狂って事件が起き続けたんだよ」って言われても直感的には納得いくんじゃないかな。
「黄金の真実」ともう1つ頭に入れてほしい「赤き真実」という枠組みがある。
赤き真実は黄金の真実に比べてシンプルで、普遍的に揺るがない「事実」のこと。ありのまま。
うみねこ作中では黄金の右手に対応して左手で象徴されていた。
さっきのAさんを例にとってみよう。
A「いけ!ピカチュウ!10万ボルトだ!ピイイイガァヂュウウウ!」
Aさんの黄金の真実:ピカチュウのキーホルダーにアニメ映像の幻を見出して、ロールプレイを楽しんでいる。
この状況をピカチュウの存在を知らないBさんが見たらどうなるか。
A「いけ!ピカチュウ!10万ボルトだ!ピイイイガァヂュウウウ!」
B「自宅の鍵に声色を変えて語りかけるAを見かけちゃったけど、本人が楽しそうだしいいかw」
赤字部分が事実、Aさんの赤き真実。
黄金の真実と赤き真実の表現は異なっているけれど、Aさんにとってはどちらも正しいよね。
ありのままの物事を都合良く捉えた結果、良心の拠り所が生まれる。
「黄金の真実」は「人が"良さ"を求めて歪んで認知する事実」とも取れそうだ。
もう1つ、「天動説」と「地動説」の例も挙げてみよう。
現在は地球は自転していると考えられている。
科学という手法が、赤き真実を解き明かそうとして黄金の真実を仮組みするものだ、とも言い換えられそうだ。
地球の自転に関しては赤も黄金も現時点で一致しているね。
うみねこ作中表現のまとめ
黄金の真実=良心の拠り所、"良さ"を求めて歪んで認知する事実、右手で象徴
赤き真実=ありのままの事実、科学により探られる、左手で象徴
話をひぐらしに戻そうか。
我々視聴者が「誰視点の何を見せられているのか」、言い換えれば「客観的な第三者視点では何が起きているのか」と「作中人物の主観ではどう見えているのか」はどちらも作品を読み解く上での重要な着眼点となっている。
ひぐらしには虚空にさも誰かいるかのようにキレ気味に語りかける神社の巫女がいたり、
仮に神社の巫女が死んだとて、村人全員が3日で狂人にはならない。
個人または社会という黄金の真実の蓄積にとって、赤き真実はしばしば都合が悪い存在になりかねない。
時折ひぐらしシリーズは「日常パートのわざとらしいノリについていけずに切った」と評されてしまう。
でも部活メンバーのノリのほとんどって、昭和末期の閉鎖的な村社会や小中一体の学校社会で上手くやるために、各人が良心に従って編み出した仮の人格なんだよね。
普段は良心の仮面と素の自己を使い分けていて、どちらも本人なわけだから無理はしていないけれど、稀に状況にそぐわず素が出ることもある、みたいな。
肩ひじ張らない素の人格がロクでもなかった場合、良心に従って別人格を用意しないと属するコミュニティの調和を乱してしまう。
極端な話、レナが毎日「嘘だッ!」って言い続けてたら部活が崩壊しちゃうでしょ。
素の人格と良心の人格が概ね赤き真実と黄金の真実に対応している構造になる。
園崎魅音は例外的に生まれつきの善人で、TPOによっては非情な人格の仮面を被らなくてはならなくなる側。
そういう人も居る。
そういう設定になっている。
業の騙し編スタート時点での部活メンバーの女性キャラ5人を分析しておく。
赤は調和を乱しかねない「鬼」や「魔女」側、黄金は整える「人」側の人格。
男性キャラの前原圭一は表裏の無いキャラなので割愛。
実は危なっかしい人格を内包しているけれど、普段は本人の完全なコントロール下にあり表層化しない。
精神的に追い込まれて「ウッディ!」するのはこっち。
素:冷静沈着なリアリスト、「嘘だッ!」
良心:かぁいいモード、献身的
使い分け:○
素:臆病な小心者
TPO:ヤクザ一家の次期当主モード、ノリが良くアクティブな部長モード
使い分け:◎
素:独善的、激情に囚われやすい
良心:クールなお嬢様、ねーねーモード
使い分け:△
2人とも「1~2年前に家族全員を失い孤児となった小学6年生」という共通点があるものの、亡くなった家族のステータスが大きく異なる。
梨花の両親
・村の土着宗教「オヤシロ様信仰」の神社の巫女と神官
・古くから村を取り仕切る名ブランド家系のうちの1つ
沙都子の両親
・母親が離婚を繰り返しており、義父や離婚直前の母親からの虐待が茶飯事
・両親が村の取り決めに反対したせいで一家全体が村八分(差別、無視)
・貧困家庭
昭和の田舎にこんな対照的な2人の孤児がいたら、それぞれが目の当たりにする村社会が大きく違って見えるのは仕方ない。
梨花は村の人から愛称"ちゃま"を付けて呼ばれたり、何かにつけてお菓子をサービスされたり、親が亡くなっても村人たちの配慮のおかげで手厚い待遇が受けられた。
雛見沢に住む梨花から見えるのは村人の良心に基づく黄金の真実。
一方で沙都子が見るのは山奥の寒村の、そして家族という共同体のロクでもないありのままなんだよね。
他の部活メンバーが学校で快適に生活するために良心人格を持ったのに対し、沙都子のお嬢様人格だけは「親からの虐待を耐えるための防衛機構」として幼児期に形成された。
村八分も親の行動が原因でされていたというのに、その親が事故死してからも続けられてしまった。
雛見沢に住む沙都子から見えるのは両親や村人といった大人たちの醜い赤き真実。
この2人が家族を失って神社の建物で2人暮らししている状態。
反対に業の沙都子はトラップなどの指パッチンを、アニメ鬼騙し編の宝探しゲーム・郷壊し編ルチーア1周目のルチーアで降らせたタライを除いては全て左手で行っている。
※※ここまではひぐらしの作中描写に基づく情報の整理。
次の文から個人の解釈が入ってくるのでくれぐれも疑り深く読んでほしい。※※
カケラ世界にはファンタジーなりに一貫性のある法則が、そしてカケラ内部の世界には我々が生きる現実と同様の法則が流れているものとして、双方を紐解くことを試みる。
圭一視点で進む話では羽入もエウアも登場しないもんね。
「実体が無いから存在しない」と切り捨てるのではなく、「本人の心の中に”いる”」とするのが愛のある解釈。
卒の終盤でも似たような流れでエウアの存在を認め、更には説得が必要になるだろうと予想している。
旧作では羽入の、業卒ではエウアの要求を上手いこと満たせるかどうかがループ終了の条件になる。
良心:猫かぶり
深層心理:羽入(村で起こる惨劇を防いで平和に生きたいという目標。旧作では身体の外、業では身体の中)
使い分け:○
素:生意気、負けず嫌い、意地悪(トラップ)、黒沙都子、赤目沙都子
良心:エセお嬢様口調の常識人
深層心理:エウア(村社会を壊して狂気と惨劇を見たいという目標。身体の中)
使い分け:×っぽい(業)
賽殺し編のカケラでは、幼少期の真・詩音が鯛のお刺身を食べず、沙都子も親からの虐待に遭わず、圭一も幼女虐待をしない、部活メンバーの誰しもが「取り繕って生きる」必要のない世界となっている。
さて、キャラの深堀りを進めたところで「カケラ世界の外側から見たひぐらしのループの全体構造」の話をしようか。
あくまで「こう解釈すると辻褄が合う」ってだけなんだけど、ざっくり言うとひぐらし業~卒は、
①ループ能力を得たことで、内部の調和を乱したカケラを放棄すればよくなって、素の人格が身体を動かす割合が相対的に増えたり深層心理のエウア人格が乗っ取ったりして、行動をコントロールできないまま数多の惨劇を引き起こした沙都子に対して
②部活メンバー全員が沙都子の良心を信じて罪を赦し、全員が全員の良心の人格も素の人格も丸ごと受け入れる、慈愛・友愛といった黄金で赤を包むような選択をすることで
③深層のエウアを「見たかった結末とは違うけれど、この結末ならアリだな(=納得のいくエウア自身の新たな黄金の真実を見つけた)」って満足させるまでの物語。
このとき沙都子の目の前には初めて幸せを存分に享受できる村社会が並んでいる状態になるの。
もっと言うとエウア人格が真に求めるのは村の黄金の真実なわけで、エウア自体が「人間社会なんて狂って壊れてしまえ」、
裏を返せば「私だって本当は幸せに生きたい」っていう沙都子の奥底に眠る嘆きなんだよね。
エウアの行動は一貫して、ループ無しではあまりに悲惨な沙都子の運命に対する救済。
ループの過程でさっきの②の選択ができないと、バッドエンドからの再ループになる。
両者とも記憶もループ能力も失って再ループへ。
一言で言うと「梨花がみんなの良心=村の黄金の真実に救われるまでの話」のスタート地点に設定されてるの。
「まだ沙都子が救われていない」って嘆きながらエウアが登場、世界が左右反転して業ループに再突入、ループ者となった沙都子が罪業を重ねてまた卒で②の選択を迫られる。
「人間のありのままに向き合おう」って言ってるのが沙都子のループ。
どうやら沙都子の罪が赦されないか、誰かの人格が受け入れてもらえないかで既に7回失敗済みで、祭囃し編や郷壊し編、祟騙し編のような流れは既に8周回ぶん起きているっぽい。
7周回目まではバッドエンドで終わっていて、8周回目でハッピーエンドになる。
8周回で終わる根拠だけれど、ひぐらしシリーズでは「8」が特別な数字なんだよね。
横に向けたら∞になるし、〇が2つ=ループが2つ。ひぐらしのタイトルロゴにも∞マークは登場する。
旧作の無印~解の話も、原作の祭囃し編登場時では鬼綿祟暇目罪皆祭の8編。
部活メンバーも梨花以外は名前に数字が割り振れるし、「にぱー」「にーにー」「むぅ」といった一部の口癖、「ひなみざわ」「おやしろ」等の造語にも無理やり数字を当てられるけれど、数字の「9」にまつわる名前やエピソードが出てこない。
せいぜい大石の下の名前くらいで、とにかく「8まで」が徹底されている。
ひぐらし業はアニメの作り方が凝っていて、ループ中は8周回ともほぼ同じ展開になるから「シーンカットごとに別の周回数の出来事を視聴者に見せる」という厄介な仕掛けになっていた。
あるシーンでは圭一の目の前にある池が次のカットで大きく離れた位置にあったり、前原邸にある絨毯があったり無かったり、梨花に打つ注射器のキャップがピンクだったりグレーだったり、赤坂の台詞に梨花の助言に従った場合と従わなかった場合が混ざっていたり。
各周回での台詞や動作も微妙に違うみたいで、沙都子の嘔吐を見て真顔だった梨花が直後に急に泣き出しそうになったりとか、梨花に首輪と手綱を付ける話をしているのに画像では沙都子に首輪と鎖が付いていたりとか、話の流れに対して映像の接続も所々おかしい。
郷壊し編の沙都子のカケラ世界に既に鬼騙し編や綿騙し編のカケラがあったり、同時に4つのルチーアのカケラが浮いていたり、そもそもエウアに会った時点で大量にカケラが存在したのは、それらのカケラが「以前の沙都子」のバッドエンド周回の産物ということ。
次は業シリーズの郷壊し編についての自分なりの解釈、および各騙し編の惨劇の経緯と真相予想を書いていく。
騙し編で三重人格となった沙都子については、良心の人格を沙都子、素の人格を沙都子、エウア人格を沙都子(エウア)と便宜的に区別した。
正直なところ惨劇の真相予想はあんまり深堀りしていなくて、
鬼騙し編は大体の流れは合っているはず。細かい補足は足りない。
綿騙し編は出来事の流れがよく分かっていない。確実に補えそうな部分だけ書いた。
祟騙し編は「沙都子が三重人格をコントロールできない」と仮定したらスッキリまとまった。
猫騙し編はそもそも腸流し以外の惨劇描写が足りないのでまあ。
郷壊し編はルチーア2周目~最終話までは概ね見ての通りで、1周目だけは「ひぐらしの話の全体構造」を見据えることで綺麗に補足できそう。
重きを置いているのは祟騙し編と郷壊し編。
♢郷壊し編ルチーア1周目の解釈
梨花の百年ループから沙都子のループに切り替わるのが郷壊し編。
業卒ループはエウアが作り出した仮想的な左右反転世界で、小6沙都子が体験した1周目の聖ルチーア入学はエウアが見せた夢・幻の類。
夢から覚めた沙都子は既に反転世界の中で、2周目のシャンデリア百合心中からはループ能力を使うことができる状態。
祭囃し編の延長で沙都子と共に聖ルチーアに入学し、部活メンバーと同窓会をした後、
エンジェルモートから古手神社まで走って反転世界に飛んできた状態。
最後以外は沙都子の体験と一緒になる。
梨花も沙都子もお互い初見で、仮に詩音あたりが反対したとしてもルチーア入学は止めようがない。
結果としてエウアが沙都子に1周目で見せた出来事がほぼ同じ流れで起きてしまう。
実際の梨花はサロンで紅茶をしばくポエマーの方が素に近かった。
沙都子の勉強云々は建前で、結局は梨花との関係の悪化だけが問題。
虐待を受けてお嬢様モードとなった沙都子と百年過ごしてきた梨花が、沙都子の心を誤認するのは仕方ない。
梨花は沙都子の能力を高く評価してサロンにも誘うものの、沙都子の心には響かずすれ違う。
にぱにぱ言ってないからね。
同窓会で雛見沢に帰った途端に猫かぶりモードになり、雛見沢を離れる直前に素の口調に戻る梨花。
親友への不信を募らせ、帰る家2軒の荒廃、母校の廃校と心の拠り所を絶たれた沙都子は、同窓会の後に古手神社の祭具殿で自殺を図る(=沙都子は死、編)。
「祭具殿からの不思議な波動に導かれて、降ってきた角に触って…」の流れが「祭具殿に屋根から侵入し、中の器具で腹を掻き切って自殺」あたりに置き換わる形。
祭具殿での沙都子の自殺を知った高2梨花は、羽入の名を呼び本殿の扉(本来は本殿に扉など無いが)を開けて沙都子の後を追おうとする。
旧作ラストの祭囃し編は、長い目で見れば悲しい結末が待つカケラだったわけだ。
本殿と祭具殿にそれぞれ"在るもの"を踏まえれば(本殿は賽銭箱と業OPの羽入、祭具殿は雛見沢に食人風習があった頃の解体器具と業OPのエウア)、梨花が再ループのために向かうのは祭具殿ではなく本殿となるのも頷ける。
祭囃し続編の高2沙都子の死を受けてエウアが覚醒、オヤシロ像の壊れた手を修復しつつ反転世界を作って沙都子のループが開始。
祭囃し続編の高2梨花も遅れて反転世界へ飛び、業の鬼騙し編が開始。
OPで梨花が飛び込む神社本殿の三つ巴が左右で逆回転だからここが境目。
梨花が来る時点で反転世界の沙都子は既に、郷壊し編の最終話に至るまで何度も世界を繰り返している。
郷壊し編のルチーアに行く1周目で視聴者に見せられていたのは、まず「エウアが小6沙都子に見せた夢」と「祭囃し続編の梨花と沙都子に起きた出来事」の混合、
さらにそれを「卒バッドエンドからの全体ループの1~8周回目」の混合状態で出すという無茶苦茶な映像だったというわけ。
トランプの6(7)、上下の年号表記に差があるカレンダー、梨花と沙都子が中学生になっても存在する流し台の踏み台、科目ごとに変わらない高校の先生、学習ノートの内容の稚拙さ、魅音の手紙の"初期部活メンバー"には悟史がいるはずといった「複数の画像を比較する必要すらない露骨な違和感」の正体は前者。
映像のメインは小6沙都子(の心の中のエウア)が作った幻なわけで、話の流れしか合っていなくて細部の整合性が小学生の妄想レベル。
唐突な沙都子のシャツin、時間経過のおかしな時計、夜のルチーアの自習室の窓に出現する森なんかは他編と同様に後者。
ところで業の騙し編の梨花ちゃま、どう見ても祭具殿で沙都子が死んだ事実を忘れているんだよな…
♢鬼騙し編
本編の鉄平は記憶の蓄積により善人となっており、間宮リナはヤクザの上納金に手を付けるほど追い込まれていない状態である(∵レナのガラクタコレクションが処分されず自室にあるまま)。
レナは宝探しゲーム後のびっくり箱による顔面KOを見た際にリナ死亡時の記憶がフラッシュバック、リナ殺害計画を立案→実行。
工事現場で4年前の事件を知りたがる圭一、誰にも話していないリナ殺害を疑われていると思い込むレナ、奇跡的に噛み合う会話。
「工事現場でさ、何か起きなかったか?例えば、事故とか事件…」「知らない」
レナの勘違いにより前原邸に持ち込まれた解体器具は本物で、 それを見た圭一は発狂。
なお本編のびっくり箱だが、聖ルチーアで沙都子とのコミュニケーション不全に陥ったのち久しぶりに遊べてご満悦な梨花が、旧作の沙都子想定でウッキウキで用意した愛の賜物である。
箱が新たな惨劇の引き金となるわ、知らないうちに沙都子の中身はやべーやつになっているわで、いくら何でも可哀想。
鬼騙し編での惨劇誘導行動は沙都子が支配している状態。
宝探しゲームで梨花にタライを落としてびっくり箱で吹っ飛んだのは部活を楽しむ沙都子。
KO顔を窓で確認する際に沙都子が表出し、顔を洗う最中に人格が完全に切り替わった。
指パッチンの手が左右どちらかで人格は判別可能となっている。
コミック版のタライトラップは左パッチンなので沙都子によるもの。
またアニメでは沙都子の人格切り替えの際に目元が曇るという特徴的な描写もなされている。
余談だが、郷壊し編以降のカケラ世界でエウアと対話しているのは沙都子の方である。
梨花と羽入の関係性と比べても、素の人格と深層心理がやり取りできるのは妥当と言えよう。
♢綿騙し編
本編は総じてよく分からない。梨花や沙都子視点でも想定外の事態が多発しているはず。
園崎家次期当主として様々な情報が入る魅音は疑心暗鬼になりにくいのだが、詩音が発狂しなかった因果により狂ってしまった。
本編の詩音は悟史との約束を覚えているか、悟史の生存を沙都子から聞いているかで心の整理がついており、魅音をからかいつつも本心では圭一に好意を寄せていたように見える。
祭具殿で足音の幻聴もなく悟史の話題を出しもしない。
奉納演舞の最中に沙都子は鷹野と富竹が捨てた車から鷹野の拳銃を回収。
詩音がねーねーモードにはなっているものの、何かの拍子に拷問ルートに入ったとしても先手を打って銃殺できる算段だった。
綿流しの夜、祟りの実行者の存在を疑う魅音(ここは詩音かも)は何やかんやあってお魎と公由村長を殺害、詩音を銃殺。
本編のお魎は祟騙し編の記憶持ち鉄平と同様に頓服薬を処方されている描写があり、旧作のようにスタンガンで即死のようにはなっていないはず。
お魎や公由村長にまで記憶が蓄積されているとしたらもはや祭りの夜にどんな惨劇が起きているか分からない。
御三家の大人たちが次々に狂うのを目の当たりにした魅音が発狂するのも無理はない。
アニメ版・コミック版ともに詩音の死体に喉元を掻き毟った痕は無いので、詩音だけは最期まで発狂しなかったことになる。えらいぞ。
ちなみに梨花が語っていた詩音、鷹野、富竹の生死判定は全て実際と逆である。うーんこの魔女…
部隊の服装は謎。
♢祟騙し編
2つの惨劇について。
本編の鉄平は別世界の記憶が原因で無害化しており、興宮のリナ宅でリナが園崎組に殺されたのち身寄りもなく北条邸にやって来た。
本編の大石は毎年の事件を「村の除け者1人を犠牲にして人肉を食らい、内臓を沢に流す」という明治期の雛見沢の食人文化と関連づけて考えていた。
事件に共通の黒幕が居ると考える大石は、今年の祟りの対象を「村八分を受ける北条家の鉄平」と仮定、ダシに使うために鉄平の悪い噂(地蔵に関して等)を吹聴した。
鉄平の改心を知る大石視点では沙都子の救出劇なんて飛んだ茶番、村ぐるみの児相への訴えは大石の誤認を助長させる形となる。
児相との電話の際、沙都子に「私を助けて」と言われてしまった鉄平は警察に連行され、大石に保護されたのちに釈放される。
綿流しの祭りの夜の時点で鉄平は北条邸で沙都子にH173を打たれたまま寝込んでおり、目を覚ました時に幻覚を見て発狂する準備が整っていた。
梨花の屈服をやめて沙都子が新たな黄金の真実を持つのはエウアの行動原理に反するため、実際の世界では錫杖の音が鳴る描写がなされた。
恐らくカケラ世界ではエウアが左手で指パッチンする描写になる。
圭一は部屋の電気を点ける際に指パッチンと同じ構図で左手で紐を引いている。
この時エウアの左パッチンは沙都子(エウア)による「狂った鉄平の"緊急使用許可(Emergency Use Authorization、EUA)"」を意味する。
目覚めた鉄平が圭一を襲いに行くも、圭一も発狂して鉄平を返り討ちに。
鉄平には圭一に撲殺された記憶があり、咄嗟に沙都子を守ろうとしたのかもしれない。
圭一にバットを贈ろうとしていた沙都子からすれば、一連の流れは想定外の地獄。
鉄平の様子を見に来た大石は、返り血で血塗れの沙都子から告げ口を受けて発狂。
大石「鉄平は?」
沙都子「梨花の差し金にバットでやられました。私を助けて!」
梨花の死を確認後、沙都子は大石を銃殺してから自殺。
コミック版では梨花のとどめは沙都子が刺している。
教室での嘔吐と児相での電話について。
アニメ版で圭一の頭撫でを拒否して吐く演技をした方が沙都子、コミック版で撫でられてトラウマ再発→吐いた方が沙都子。
行動の違いは全体ループの周回数の違い。
というかそこ分岐するのか…
静画でカケラ混合を表現するのは不可能だから、コミック版は祟騙し編に限らず一続きの周回を描いているはず。8周回目?
かつての悟史の強さを糧にエウアらの身体支配に立ち向かう、惨劇なんて見たくも起こしたくもない良心の悲鳴。
♢猫騙し編
ケタミンは実在する薬で、麻酔作用に加え、静脈注射の際には覚醒時に暴力性を伴う幻覚作用・錯乱作用がある。
これまでレナや大石の発狂を煽ったり、銃で魅音に、H173で改心鉄平に手を下す過程で沙都子のメンタルは限界に近づいていた。
赤坂、茜、公由、圭一の4人にもH173が用いられて狂ったのか、はたまた自然発狂だったのかは描写が少なくてよく分からない。
御三家の茜や公由に沙都子がH173を打ったり嘘を吹き込むのは機会に恵まれていないから、裏で沙都子に唆された詩音が動いていそうではある。
本編は梨花の殺害方法がそれぞれ過去の連続怪死事件の死因になぞらえている。
赤坂、茜…バラバラ殺人
公由…沙都子による義父母の溺死
圭一…悟史による叔母のバット撲殺、梨花の母の脳解剖
(梨花…鷹野による腸流し)
梨花の腸流しについて詳しく。
視聴者が見た沙都子の奉納演舞は、寝ている間にH173を打たれた梨花視点の幻覚に過ぎない。
祟騙し編でH173が使われた時と同様に、世界に赤みがかかる特殊な描写だった。
梨花は「あと5回死んだら心が死ぬ」と言いつつ、5回目相当の奉納演舞の後に川辺で目覚めている。
指折り数えているのに間違えないでくれ。
「私の奉納演舞、見てくださいませ!」(奉納演舞をすると言われたので鍬を持っているように見えてしまう)
実際は梨花が動けないように重石でも乗せ、風呂場のデッキブラシか何かでペチペチ叩いていただけだろう。
解答編のシュールさが今から楽しみである。
沙都子…梨花との根競べに勝利した。
沙都子(エウア)…村の黄金の雛が赤に屈する、望んでいた結末を見て満たされた。
シュレディンガーの猫箱は開けるまで確定しないのである。
ここからはひぐらし卒の展開予想。
卒は①騙し編の解答編、②猫騙し編のラストから続く1~2周回ぶんのバッドエンドの編、③ハッピーエンドの編の3編構成で、③は8話構成になると踏んでいる。
後に提示する公式絵から察するに、羽入は猫騙し編の直後でなくとも卒のハッピーエンドのどこかで復活する筋書きになっているはず。
♢卒バッドエンド
「あなたは、それでも、信じられますか?」
ひぐらしシリーズでは一貫して「人間には鬼=思うがままに振る舞って罪業を生みかねない者としての側面も、人=良心に従って善行を重ねる者としての側面もどっちもあるよね」「相反する二面性は両立するよね」って話がされてきたわけで。
冒頭の質問を補うと「あなたは<心に鬼が内在することを認めた上で>、それでも<過去の罪を赦し合って>、<互いの中に在る「人としての良心」が紡ぐ未来を>信じられますか?」くらいになるか。
かつての悪人たちが改心した雛見沢で唯一の「悪者」となり、さながら鬼狩柳桜伝承の羽入のごとく斬られる沙都子の3つの人格はどうなるか。
元より村の大人たちから迫害され、村を出てみても上手くいかず、自殺して得たループ能力の果てに部活メンバーに後ろ指を指され、終には最愛の梨花に斬られた。
沙都子の黄金の真実が完全に失われた=雛見沢にはロクでもない事実しかなかったとなるわけで。
沙都子
精神の死。
ループに関する記憶も能力も全て失って、カリフラワーとブロッコリーの見分けがつかない旧作の沙都子に。
野菜は真実。
沙都子
部活メンバーに後ろ指を指されてから何とか梨花との相討ちに漕ぎつける。
鬼狩柳桜は鬼殺しの剣でありながら親殺しの剣でもあり、両親を殺害済みの沙都子には振るう資格があるのが作中最大のトラップ。
ロクでもなかった村じゃん。滅ぼしてよくない?
ああ、"祟り"ってそういう…
沙都子(エウア)
梨花と沙都子の相討ちエンドは「完勝」に値しないため、結果には「干渉」せずカケラ「鑑賞」もやめて、再び祭具殿に戻って待機。
今周回の梨花との決着はついたし、どうせ百年後に戻ってくるからね。
「久しぶりであるなあ、人の子よ…」
♢卒ハッピーエンド
「あなたは、それでも、信じられますか?」
8周回目で全員が全員を信じ、鬼狩柳桜で沙都子を斬らない選択をすることで、エウアすらも部活メンバー6人+羽入と雛見沢村の紡ぐ未来に期待させ、最終的にエウアの右手の指パッチンで福音(Euangelion,エウアンゲリオン)を発動してもらう。
エウアが福音を与えることで、左右が反転していた業~卒世界が光に包まれて元通りになり、古手神社のオヤシロ像の右手は壊れていない状態になる。
雛見沢の黄金の真実が完成したので沙都子と詩音の元に悟史が戻ってきて、羽入と合わせて計8人の物語が完成する。
以上が抽象的な話の大筋で、あとは作者による具体的な肉付け。
表現の手段としてシャンデリアのような洒落た道具もまだまだ用意されているかもしれない。
業OPのサビ「眩しい光に」のカットで出てくる悟史の部屋の人形2つもまだ触れられていないから、エウアと沙都子の依り代になる重要アイテムなのかもしれない。
業で描写の少なかった詩音も解決の鍵を握っているのかな。
卒のヒントになりすぎるから描けなかったのかもしれないし、細かいところは分からない。
郷壊し編の終盤で改心していた鷹野と鉄平は、沙都子の境遇を改善すべく動いてくれそうではある。
もしくは業の騙し編の裏で既に行動を起こしていたのかもしれない。
鷹野は沙都子と似たような孤児時代を過ごしてから成功した大人だし、鉄平は昭和の村社会の実情を沙都子と近い視点で目の当たりにする大人なわけで。
特に鷹野は雛見沢症候群の正体を見抜いた上で、悟史の回復に尽力してくれそうかな。
現実社会でも「恵まれない環境で育った結果、非行に走る少年少女」に対して、みんなで後ろ指を指して社会的な死や自死に追いやる姿勢は間違っている。
元々良い性格はしておらず、人の世のありのままの惨状を見せられ続け、遂には罪を犯してしまった子供をどうやったら救えるか。
業1話での宝探しゲームでは「圭一が宝のペンを見つけたら魅音に落書きしていい」とされていた。
圭一は「口先の魔術師」であり「祟騙し編で沙都子の黄金の真実になりかけた雛」であり「ハッピーエンドを待ち望む視聴者たちの象徴」でもある。
彼ならきっとエウアや梨花や大人たちの説得に一役買ってくれるし、物語のエピローグは作者の手を離れて自由に視聴者に委ねられる。
最後に「ひぐらしシリーズ」が何だったかの話をしよう。
「オヤシロ様」と崇めるには似つかわしくない幼い「里の子」らが「八代」紡ぐ、村の真実の嘆きの輪廻。
「畠」より「豊穣」へと至った奇跡の村は、未来へ羽ばたく雛たちにとって黄金の故郷-ふるさと-古き沙-みぎわ=水際-の都となる。
最初から、卒の結末は決まっていたんだなって。
雛見沢は素晴らしき故郷。
物語を託して真っ先に巣立つ作者=魅音。振り返る考察者=レナ。楽しむ視聴者=圭一。卒業する順。
エウアの福音=右パッチン後の沙都子。背負う赤ランドセルは業。
羽入の手を引く梨花。右手と左手の和解と結束。水際に居る2人。
沙都子の右手と梨花の左手で正規のオヤシロ像の姿の再現。右回りの水車。
電柱の電灯の角度から部活メンバーを照らすと、魅音を上にして影の形が「卒」。
逆の角度から照らすと沙都子を左上、梨花を右上にして影の形が「業」。
情報量が多すぎるハッピーエンドの公式絵。
こんな絵が堂々と公式サイトに貼ってあるんだから安心して卒を見ていいというもの。
「真実のその先へ」進む物語を見届け、紡ぎ続けようじゃないか。
♢参考資料
業アニメ版の全体8周回のカケラ混合を分かりやすく解説した動画。
この動画のおかげで考察が捗り、記事執筆まで至ることができた。
鬼狩柳桜の破片とカケラ抽出以外は納得して投稿者の解釈に則った。
うみねこの考え方を幅広く応用して考察されている方のブログ。
事実は左手の赤、魔法は右手の黄金、嘘は紫、推理は青。
ひぐらしのなく頃=日暮れ=オレンジ=赤+黄金
雛見沢は赤と黄金が並び立てる場所
ヤシロ=社=八代=八城
エウア=緊急使用許可Emergency Use Authorization、福音Euangelion
8=∞(無限大)=2つのループ=メビウスの輪=自転車、バイク、2つのドーナツetc…
勝手ながら沢山のヒントをいただいた。
https://gultonhreabjencehwev.jimdofree.com/
ひぐらしを医学的な見地から紐解こうとされた方のブログ。
雛見沢に病原性の風土病はない。
プリオン病の主な感染経路は家族遺伝と人肉摂取。稀に個人の突然変異もある。
統合失調症の原因は厳密には未解明だが、遺伝子にも関与があるとされている。
とはいえ家族間の病気の遺伝は低確率であり、そもそも人間は遺伝性の病気が無くても周囲の環境次第で疑心暗鬼に陥ってしまうものである。
狂人の病状に対して段階的に精神疾患のラベリングがされている(L1~L5)だけに過ぎない。
近くに神社の巫女が居れば狂人でも落ち着きを取り戻すし、対症療法としての鎮静剤(C120)は原因を問わず効果がある。
喉を搔き毟る死亡例を知っていれば狂人は喉を搔き毟るし、幻聴があれば故人やオヤシロ様によるものだと考えてしまう(前者が詩音、後者がレナ。圭一に至っては心当たり無し)。
症例を知らなかった圭一は、大石に喉の状態を尋ねられて初めて衝動的に掻き毟り、力が調節できず失血死したに過ぎない。
狂ったレナも詩音も圭一も結果的に「喉を掻き毟る行動」こそ一致するものの、行動に至る思考の過程は各人によってバラバラである。
かつての食人風習を正当化するオヤシロ様信仰が広まったまま事件が起き続ける雛見沢には、「現代の日本人とは異なる宗教観・文化風習に基づき人が疑心暗鬼に陥りやすい土壌」が形成されており、この状況こそが雛見沢症候群と呼ばれる狂人生成メカニズムの正体である。
人が狂うのを寄生虫の所為、オヤシロ様の所為にするという、当人を取り巻く環境や心の変化から目を背けてありもしない虚構に罪を求めるスタンスこそが、鬼狩柳桜の伝承や業卒全体のテーマに対するアンチテーゼとなっている。
卒で悟史を復活させるにあたり、鷹野の役割は一二三の主張の正しい部分を見極め、誤った部分を修正した上で、雛見沢症候群のより確かな実態を暴くことにある。
「医者という科学者の末端でありながらオカルト趣味を持ち宗教学や思想関連に理解がある」という鷹野の持つ二面性が鍵となってくるのである。
入江は1979年の工事員、1981年の梨花に由来する未解明の病気を相手していた可能性がある。
なおH173=カタラール(ケタミン剤)は摂取して就寝後、目覚めた者に幻覚を見せる危険な麻酔薬であり、摂取した者に狂人化を促す効果がある。
用量が守られている医療現場ですら患者に一定確率で幻覚症状が起きるのに、不適切に多量のケタミンが使われたらどうなるかは想像に難くない。
その危険さから2007年以降の日本では、ケタミンは麻酔薬から麻薬指定になっている。
鬼騙し編のレナも保健室で寝ているシーンがあるし同上。
富竹はケタミンの覚醒時反応だけでなく、2度目に摂取した際の「薬物に対するアナフィラキシーショック」で発狂した含みも郷壊し編の最終話で示唆されている。
回想記の知識だけはバッドエンドの予想に必要だった。
♢ひぐらし作中での赤と黄金の対比
梅干し=ルチーア沙都子
カボチャ=詩音、雛見沢
♢自分の中で未解決の疑問
・綿騙し編で何が起きていたか&タイトルの意味
・悟史の部屋の日本人形と西洋人形、左右差含む
・猫騙し編での詩音の行動
・鬼狩柳桜が破片しか残っていない理由
・本編の梨花や沙都子から稀に、またCDパッケージの各登場人物から出る白い糸
ほとんどは卒で解答がもらえそうだけれど、綿騙し編は現時点で重要な情報を見落としている気がする。
何か思いついたら追記。
綴ってきた考察は完全ではないし、必ずどこか間違った解釈をしているけれども、部分的には「まだ語られていない物語の核心」を突いていることだろう。
本記事では卒のハッピーエンドを読み切った上で、うみねこで扱われていた2種類の真実を軸に、物語の全体像をカケラ内部の世界から説明しようとしたに過ぎない。
注目する視点や基準を変えればまた違ったものが見えてくるだろう。
複数のカケラが浮かぶカケラ世界では、羽入もエウアもループに関するファンタジックな力を持っており、現実に即したカケラ内部とは異なる法則が流れている。
ひぐらしを理解するには同作者のキコニア・三面鏡のアリス・Rewriteといった他作品から要素を類推することも有意義だろうし、現実にある医学・宗教・ボードゲーム等の知識を用いて細部の設定を読み解くことでも発見があるに違いない。
本記事がひぐらしシリーズ・なく頃にシリーズを愛する誰かの道標となり、より真に迫った考察が紡がれていくことを期待している。
そうそう、折角だから最後まで読んでくれた貴方にやってもらいたいことがあって、
貴方はもう何も知らない雛ではない。新たな真実が見えてくるはず。